さよなら 冨田勲さん

人生には節目というものが必ず有ると思う人間ですが、自分には手塚治虫さんの他界、というものが節目を感じる”きっかけの始まり”だった気がします。
折しも昭和の終わり、偶然バブルまっただ中の東京に居住し、半旗のデパート、ネオンが消えて薄暗く、喪に染まる銀座のど真ん中で、天皇陛下の崩御(1989年1月7日)と、一漫画家の死(同年2月9日)とを真剣に比較している自分に戸惑った記憶が(28年前の話…)鮮明過ぎます。

年令とともに、彼岸に往く人が増えて、今のところ此岸の我々は、その都度"これまで"に思いを馳せます。
冨田勲さんは院長に大きなインパクトを与えてくれた方ですが平成28年5月5日に旅立たれました

ジャングル大帝、リボンの騎士のアニメの主題歌の作曲者でも知られますが、院長がそのことを改めて意識したのは、原作者の手塚治虫さんが亡くなった後の事でした。

重層な交響曲も多く編曲されていますが、先駆けて『月の光』は1974年発表のシンセサイザーでの”デビューアルバム”で、世界の『TOMITA』の印象がもっとも強い一枚です。

院長は冨田勲さんの真骨頂は、曲のメロディーラインの一つ一つの音を吟味し”磨く”ことによる細やかな編曲にこそ有るのではないかと思っています。

「今日の料理」のオープニング曲は、放送開始前日にたまたまNHKに居合わせた富田さんが、番組担当者から、翌日の放送に間に合うようにと作らされたというエピソードが有ります。
演奏にはウッドブロックと呼ばれる、木製の楽器が使われていますが、これが”ただの”シロフォンだったら、果たしてこのように長く親しまれ続けたでしょうか。

シンプルな旋律で、印象深く、耳に心地よく、しかも聞き飽きしない。一瞬、前衛的と映るかもしれないが、しかし先鋭ではない、人間らしさを決して失わない、冨田勲さんの理想とした”普遍性と、革新性”が凝縮された作曲、編曲と思います。

その意味で、このデビューアルバムには、ベルガマスク組曲子供の領分をはじめ、比較的なじみ深くシンプルな、愛すべき旋律のピアノ曲達が選ばれたのだ、と思います。

1970年当時、冨田さんが大変な思いをして手に入れたシンセサイザーは、取説すら無く税関で軍事物資と間違われ、扱いが非常に難しく同じ音を二度とは出せないといわれる位の難物で、使いこなしから編曲までには膨大な時間と労力を要した事がインタビューに残されています。

他の仕事は断り、没頭してシンセと格闘1年4か月後に出されたこの「月の光」は、日本での販売までがまた紆余曲折、しかし現在では古典と呼べるほど、もはや極めて人間的と言って差し支えない耳に馴染んだ音に聞こえ、その後に続いた、YMOなどのテクノポップのアルバムなどの音作りの方が、意識しただろうとはいえ、ずっと”尖がって”聞こえます。

次に出された展覧会の絵では、音はさらに洗練され、「プロムナード」と称する曲と曲の間奏にあたる部分には、人間の声?ハミングにも似た音が当てられます。
「月の光」でもそうですが、冨田勲さんは、時に擬人化とも表現できる人間臭い音作りで、あえて機械的(当時はアナログですが)な音に極めて人間的な仕事をさせて、ヒトの感性を揺さぶる効果を狙ったのではないかと思わされます。

冨田さんは、作曲によく使用するある種の音達には、キャラクターづけをして、名前まで付けて曲の中に必ずしのばせるような工夫もしています。
手塚治虫のヒョウタンツギのようなものですね。

このようなエピソードにも編曲者の基本的な”人間らしさ”が現れ、結果聴く者の心に沁みこみやすく魅了する曲になるのだと思わされます。

直近のボーカロイドと交響楽、コーラスとのコラボにも同じ”ひねり”を感じるところでしょう。

作曲者、編曲者、シンセサイザー演奏者など、音楽家として数々の肩書の冨田勲さんのご出身は慶応大学文学部です。
家族的な素養はあったと考えられるものの、音楽は独学で修めたといわれます。
シンプルなメロディー作成のみにとどまらない、オーケストレーションまでの創作活動。

完全な音楽畑の出身でない出自が、このような曲作りに関係したのかと思わされますが、皆さんはどのような思い出がありますでしょうか? 合掌

…以下は院長日記からの抜粋

2016-05-09 月の光

2016年5月5日に冨田勲さんが亡くなられました。
表題は院長の好きな「月の光」ですが、ジャケットはその後発表された『惑星』です。

『惑星』は、特殊な楽器の使用、大コーラスの採用などのクリアが容易でなく、スコアに忠実な生演奏すら難しい曲で、なにより作曲者ホルストの遺言で遺族が、長らく編曲や曲の一部の抜粋すら認めないという姿勢を堅持してきました。

冨田勲さんは”熱意”で遺族を説得して種々の条件をクリアして、ほとんど世界初といっていいほどの”公認の”編曲アルバム出版にこぎつけたわけですが、この時のさまざまな制約が、『月の光』の飛びぬけた革新性からすれば、比較的編曲がオーソドックスに感じられた所以ではないかと、院長は勝手に考えています。
…ので、平原綾香の”ジュピター”が「木星」の抜粋として、ポッと出て来た時の”違和感”が半端でなく、いまだぬぐいきれません。

この『惑星』の重層的な編曲に興味をもった、F.コッポラ監督は、『地獄の黙示録』の音楽監督の打診をしたと伝えられますので、真偽はともかく、実現していたら面白かったでしょう。

”音楽の普遍性と革新性”を追求した冨田勲さんですが院長の”一曲”はやはり「今日の料理」ですね。

冨田勲さんはシンセサイザーの音をオーケストラとして重層するときに、単にコピーして重ねるのではなく、同じ音を何回も自ら演奏してそれを、一つ一つ重ねてゆくという、シンセでありながら超めんどくさい”手作り”の手法をとりました。

興味深いエピソードとして、富田さんは、その際に”同じ状態にチューニングされた楽器の演奏”を何度重ねて録音しても、どうしてもオーケストラのような深みのある音には決してならないことに気付いたと述べています。
ほんの少しチューニングをずらして、一台一台”楽器”に個性を与えた上で、それを手仕事で重ねて初めて普段我々が耳にするオーケストラの重層な音に近づいたとコメントしています。
”手仕事”は精緻を極め、僅か二小節に二週間かかったことも有るといわれます。

当時は前衛的と、時に酷評されながら、もはや古典といわれるほど、実は人間臭さも感じさせる音楽である所以はこのような、音を一粒一粒大切にしてゆく冨田さんの音楽づくりの姿勢故、そして『月の光』のアルバム、各曲は40年を経た今も”現役”で有り続ける理由なのだと思わされます。

院長の最初の ”TOMITA” はLPでしたので、左のジャケットでした。分かる人にはわかるでしょう。

シンセサイザーを前にした、少し挑戦的(に見える)な裏面の写真からは想像のつかない、革新的でしかし温かみのある音楽とのギャップが不思議で一層魅力的に感じました。

LPジャケットの表題は一曲目の『Snow Flakes are Dancing』(雪は踊っている)ですが、このディスクの通り名は、『月の光』で、当時非常に不思議に思った記憶があります。
この”混乱”は後も続き、前記のCDのジャケットも院長の購入版は『Snow Flakes ~』になってますが、最近のものは同じ図柄で、表題だけ違って 『Clair de LUNE』(月の光)です。
レコード会社が変わったとか、事情を語れば面白いのですが、多分どうでもいいことかもしれませんね…。

  …ところで

冨田勲さんは、文学部のご出身で、素養から音楽に興味があったとはいえ作曲は独学だといわれます。
単なるメロディーラインならともかく、オーケストレーションまで、引く手あまたであったと考えると、才能という言葉と、音楽畑ではないご出身ということならではの、普遍性と革新性なのかと思います。
ボーカロイドとの共演の革新性はともかく、”あかいめだまのサソリ…”住まう、遙かな世界にお帰りになられたと考えるところです。  合掌

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