音にリファレンスは有るのか
オーディオ・音楽関係
音楽再生の究極の到達目標は”原音”である。と信じる院長。
究極のリファレンスとして、『原音』というものが存在する音楽。
ただ、そもそも音楽に関わる人で”原音”を的確に正しく記憶して、なおかつ再現出来る人はいるのか?
ベルビア…、フジフィルムの名品中の銘品です(と院長は思う)
昨今、写真フィルムなんて見せても、これなあに?って言われそうですけど…。
※富士フィルムのHPより
写真にもリファレンスがあるのか?というと、もちろん「原画」というか、原風景が有ります。オリジナルといったほうがいいのでしょうか?
音から話は少しそれますが…
プロ御用達とも言われた、銘品「ベルビア」の最大の特徴は、色再現性が、ビビッドであるということにつきます。
え?忠実再生じゃないのか?と言われると違います。特にISO50は発色がかなり派手です。
忠実に再生された「原画」の色調は多くの人は魅力的と思っては見ないようです。
極論すれば、コマーシャルフィルムの世界では”原画の忠実な再生”は必ずしも良しとはされないのです。
まあ、映像なら化粧された美人の方が魅力的だといわれるのといっしょかもしれませんね。(すっぴんもいいけどなあ)
おそらく、音楽にもこの命題はつきまとい、そのまま当てはまるものだと考えられます。
違うところでも書きましたが、ヒトの、外部からの情報の90%は視覚から得ます。
⇒ヒトの情報収集
他の“四感”からの情報が10%です。
聴覚がその何%を占めるかは人それぞれですが、ヒトは聴覚で得られる情報の三割しか直接利用できないので、視覚以外の情報を全て聴覚としても、その三割が占める割合は単純計算すれば全体の情報のたった3%以下にすぎません。
これが多いと思うか少ないと思うかは別として、この3%をどのように”利用”できるかは、大げさに聞こえますがその人が“どんな人生を送ったか”が関係します。
素晴らしい情報処理能力を示す人と、そうでない人がいるのは当然ですが、現実として”オリジナルのファイル”が情報全体のたった3%以下なのです。
音の思い出にいろいろなバイアスがかかり、太鼓の音は原始を呼び覚まし、唸り声に恐怖は目覚め、映画のサウンドトラックは画像と共に心に蘇り、自分の”悪口だけ”はよく聞こえるということになります。
「ハイレゾ音源の音楽は人の心を和ませる作用が強い」、という研究報告が有ります。
これは”原音”に近い音は”心”に良い作用をもたらすというひとつの証拠といえるかもしれません。
対して、人は体調が悪いときに、”原音”に少し逆位相をかけた、ポワーン(抽象的ですが)とさせた音をより好むというレポートも有ります。
…閑話休題
コンサートホールの音の再現に心を砕く、「鬼」のようなオーディオマニアがいました。
妥協を許さず、コンサートホールの風のように寄せてくる低音の再現を目指している、と言っていた彼のあるコメントに、「コンサートでの実際の弦楽器の音は、高域がきつくて苦手だから、再生時にはマイルドにしています。」という記事を目にしたとき、すべてが腑に落ちたような気がしました。
個々人の”原音”(決してオリジナルではなくて、リファレンス)はすべてがその人の心の中にのみあるのだ!
うーんなんでもありってか…、またそんなオチ??