かつての朝市
院長の時々日記
令和六年は波乱の幕開けになって、一般参賀までが打ち切られてしまいました。
医師会もコロナ以来のJMAT出務を調整中ですが、4人以上のチーム派遣の条件や、食事などは可能な限り自己調達になる等、なかなか個人の医療機関が手を上げにくい募集状況です。
能登半島は個人的にとても好きな、憧れの場所ですが次々と報道される悲痛な現状に言葉もありません。
上は院長撮影の輪島市内で火災前、朝市でにぎわう永井豪記念館付近の写真。
下が同じアングルの今回火災後の報道写真。
記念館は看板と表装の派手な、少し朝市界隈に似つかわしくない威容の建物の印象でしたが、鉄骨コンクリ造りの為か看板と外郭が焼け残っていますが、周囲は跡形もありません。
いくら地震国とは言われても最近の大地震の多さ、これに近未来の南海トラフの確率の高さを思うと、流石に無力感とともに幾分暗澹たる気持ちになるのは避けられません。